2012年4月6日 金曜日



キャティーはたいそう賢い子で、どこへ行くにもリードなどつける必要はなかった。


おてんばの割りに強烈な寂しがり屋で、一瞬でも私の姿を見失うと必死で探し回って横に着く。


恐らく一度飼い主から捨てられた経験がそうさせているのだろうと思うと不憫でならなかった。


家族にも良くなつき、いつも笑顔で活発な子だった。


体はどんどん大きくなり、メスのコリー犬にしては驚くほどのビッグサイズで、「この子メスなんです・・・」と言うと大概の人は驚いた。


唯一の欠点は、誰を見ても尻尾を振って愛想を振りまき、「番犬」としては全く落第、おまけに「吠える」ことをあまりしない子だった。


コリーと言えば「名犬ラッシー」の主人公になった犬種、利口で大人しく、人間以上の能力がある犬とされている。


うちのキャティーはラッシーと比較するには???な子だったが、まあそれは映画の世界であって、私にとっては充分な利口なパートナーだった。


そんなキャティーと沢山の思い出を作った。


日曜日の朝方、遅くまで寝ている私のベッドにもぐりこみ、起きるまで顔をぺろぺろ舐め続けたり、食事の時間になると、自分で食器を咥えて持ってきたり、車で出かけようとすると「連れて行く」とは言ってないのにいち早く車の前で待ってたり・・・。


どこへ行くのも一緒に行動した。海や山や川、そして繁華街にまで一緒に出かけた。


 


キャティーを飼い出して五年の歳月が流れ、私は結婚して大阪市内に住むことになった。


当然、市内のマンションは大型犬を飼うことができないので、実家に置いていくことになった。


 


でも、ほとんど毎週末、私達夫婦は実家に通った。


「両親に顔を見せる」目的よりもキャティーに会いに行く目的、と言ってしまうと問題があるので、ここでは前者を理由としておこう。


当時私は5万円で買ったボロボロのフォルクスワーゲンビートルに乗っていた。


確かにエンジン音は独特で、誰でも聞き分けることの出来る気高い音だった。


それにしてもいつも母親が「あんたが帰ってくる10分くらい前になるとキャティーがそわそわしだして、必ず玄関の前に行くのよ。それを見てあんたが帰ってくるのがわかる。」と言っていた。


10分と言うと、距離で言えば5~6km、そんな遠くからいくら特殊なエンジン音と言えども聞き分けることが出来るのだろうか?


私はいつも疑問に思った。


今の時代なら、キャティーがそわそわしだした時点で携帯電話に連絡をもらえれば正確な距離を測れたが、当時は携帯電話など無い時代、推測でしかなかったが、毎回必ず10分という正確な行動を彼女は取っていたようだ。


「以心伝心」彼女は特殊な能力で私が近づいてくるのを感知していたのだろうか?


そんな疑問が一掃される「事件」が起きた。


私の実家は電車の便が悪いところにあったので、必ず車を利用していたのだが、ある日、何かの事情で電車で帰ることにした。


するといつもは大人しいキャティーが突然玄関の門をくぐりぬけ、一目散に走り出したのだそうだ。異常なキャティーの行動に驚いた母は叫びながらキャティーを追いかけた。


でも一瞬で見失ってしまった。


母が探し回って最寄の駅まで行くと、改札の前にちょこんと座っているキャティーの姿を見つけたそうだ。


ちょうどそのとき私の乗る電車が駅に着き、ほとんど無人駅の改札を見ると、母とキャティーが居る。


「あ~、二人で迎えに来てくれたんだ」と普通に思った。


でも良く考えてみると電車で帰ることなど誰にも伝えてない。


私は母に「なんで電車で帰ることがわかったの?」と聞くと母は息を切らせながら事情を私に説明した。


やっぱりキャティーは車の音を聞いていたのではなく、以心伝心、テレパシー、なにか私達にはわからない特殊な判別機能を持っていたんだ。


「ひょっとしたら、この子はラッシー以上かも?」本気でそう思った。


 

2012年3月30日 金曜日

最近、金型の離形性処理事業が好調である。


弊社がこの事業に乗り出したのはかれこれ30年前のことである。


今では、優れた離形剤の開発が進んだり、各めっき薬品メーカーさんが出されている


ニッケルーテフロン複合めっきなどが市販され、ライバルも多く存在する。


しかし弊社はこの30年の間、地道な基礎開発を一時も怠らず常に革新的な開発を行ってきた。


その結果、社内には界面活性剤のスペシャリストや、分散剤のスペシャリストが多く育ってきた。


その他にも電気化学のスペシャリスト、金属工学のスペシャリストが加わって、多くの観点からの熱い議論が毎日繰り返され、それらが開発品にうまく反映されているのが今の好調の根源であるように思う。


言ってしまえば簡単だが、例えばそれらを具現化させるために使われた実験用テストピースは数十万枚を裕に超えるし、生産業務には一切関わらない研究開発に専念する研究員の費やした時間は50万時間に及ぶ。


このような目に見えない小さなノウハウ、努力の積み重ねが大きな技術として、今の世の中の一端を担っていると言う責任は大きい。


 


今期の開発テーマ数は、弊社の社歴のなかでも過去最多数であり、毎日が大変エキサイトである。


その中のいくつかのテーマは、近々、具体化され工業化へと進んでいく。


どれもが大変エキサイティングで、過去の世の中になかった全く新しくかつ学術的にも高い評価の得られる技術である。


 


新工場の建設も始まり、新たなチャレンジへのゴングが鳴った。


より一層、社員が一丸となって世の中への貢献を誓っている。

2012年3月23日 金曜日

以前このブログで「石松君」のことを書いたところ、多くの人から評価を頂いた。


私は犬との繋がりが人一倍強く、「前世は犬だったんじゃないかな?」と思うほど、


犬の気持ちが解るし、会話が出来る。


この半世紀の間、石松君をはじめ、多くの犬達との忘れられない思い出が沢山ある。


今日は「キャティー」と言うコリー犬のお話をしたい。これも学生時代の話である。


 


石松君を亡くして「もう悲しい別れをしたくない」という思いから、長らく犬を飼わなかった。何年かしたある日、私が通う大学グラウンドの近くのペットショップのショーウィンドウで生後数ヶ月のコリー犬と出会った。これがまたたいそうかわいい子犬で、手を差し伸べると喜んで転がりまわってくる。


「あ、いけないいけない、情が移ると大変なことになる」とできる限り遠目に見るようにした。でも、毎日通る道なのでどうしても目に留まる。


一ヶ月ほどしたある日、いつも通りそのペットショップを通ると、いるはずのあのコリーの子犬がいない。「売れてしまったんだろうか?」一瞬、悲しい気持ちになった。


次の日も、そして次の日もやはりあの子の姿は無かった。


思い切ってそのペットショップを訪ねてみた。すると店主のおばさんが「あ~あの子ね?名古屋の人に買われて行ったよ。」と。


「そう言やあなた、ちょくちょく見にきてくれてたね。」どうやらお店の中から見られていたようだ。


なんか寂しい気持ちで店を出た。


それから三ヶ月ほど経っただろうか?いつも通りそのお店の前を通ると、子犬とは言えない中型のコリーが居た。よく見るとどうもあの子犬に似ている。思い切っておばさんに尋ねてみた。


すると「そう、あの子だよ。ひどい話でね、名古屋の飼い主さんが都合が変わって飼えなくなったからお金は要らないから引き取って欲しい、と無理やり置いていったのよ・・・」


なんとひどい話だろう。まるでおもちゃのように要らなくなったら放り出す、命あるものに対してそんなことが出来る神経に無性に腹が立った。


「もうここまで大きくなると売れないから、私が引き取って一緒に暮らすのよ」とおばさんは言った。


その後、何回かその子に会いに行っているうちに、「あんた、本当に犬が好きなのね。連れて帰る?」おばさんは冗談半分で言ったのだろうが、その声を待っていたかの様に私は「えっ!いいんですか?」と咄嗟に声が出た。


「あの~僕、学生で用意できるお金がわずかしか・・・」と切り出すとおばさんは「この子は売り物じゃないのよ。あなたさえ良ければ、この子はそれを望んでるように思うし。」


 


こうしてその日からその子との生活が始まった。名前は、実は飼う前から「キャティー」と名付けていた。


キャティー、その子は生後9ヶ月、女の子でおてんば、でもいつも首をかしげて私の話を聞く、とても利口な子だった。


それからどこへ行くのもキャティーと一緒、大学へ行くときも、休みの日も、寝るときも


ずっと一緒にキャティーと過ごした。