2012年10月29日 月曜日

試合当日、少しでも彼らと同じ緊張感を味わいたく、早目にグラウンドへ出向いた。


試合前の練習を見比べると、相手はさすがにチャンピオンチームの余裕が漂っていた。


多くの選手、そしてコーチ陣、おまけにチアリーダーまで揃い、淡々と練習メニューをこなしている。


我がチームは、大一番を前にただならぬ緊張感が漂い、でも何かをやってくれそうな挑戦者らしい鋭い闘志のようなものを感じた。


我がチームのキックオフでいよいよゲームが始まった。


立ち上がりが心配だった。緊張の糸を切られてしまうと、一方的にやられてしまう。


祈るような気持ちだった。


しかし、予想を反して我がチームは、相手の強力なランプレーをことごとく止めた。


ラインズの「目立たないファインプレー」が続出した。まさに体を張って彼らは何度も何度も止めた。


試合の均衡を破ったのはなんと我がチームだった。第2クオーター、先制のフィールドゴールを決め、3対0でリードした。


この時点で、相手チームの焦りを感じた。


いつもなら簡単に通るプレイが、ことごとく止められる。しかもまさかの相手にリードを許した。


私もヘッドコーチとして、何度か日本一に輝いた経験があったが、最も怖いのは格下の相手にリードを許したときである。


歯車が狂いだすと、それを見た勢いのあるチームは更に活気づく。


しかし、さすがは日本一のチーム、前半終了間際に一瞬の隙を見てタッチダウンを取った。


TFPは失敗して、6対3で前半を終えた。


私は、事前の自分の予想に対し、彼らに詫びる気持ちで一杯だった。


確かにリードはされてはいるが、勇敢にチャンピオンチームに立ち向かい、屈するどころか互角以上に戦っている。


みんな体を張っている。ホイッスルが鳴るたびに顔をゆがめ、痛い体にムチを打って何度も何度も立ち上がる。それを見るだけで涙が出た。


彼らは本気で大きな夢を自らの手で勝ち取ろうと歯を食いしばって頑張っている。


こんな素晴らしい光景を真近に見たのは何年ぶりだろう。


後半に入っても一進一退は続き、6対3のままゲームは流れた。


当日、気温は35度の炎天下、最大の心配はスタミナの消耗だ。


相手は完全にオフェンス、ディフェンスに分かれ、余裕の選手交代で体力を温存できる。一方我がチームは11人がオフェンス、ディフェンス出っ放し。


その差がとうとう終了間際に表れた。試合時間残り数分、相手にタッチダウンを取られた。


TFPを再度失敗して12対3に開いた。


試合時間残り2分、普通ならここで諦めてしまう場面だ。しかしここから快進撃が始まった。彼らは決して諦めなかった。


敵陣20ヤード付近から、スーパープレイを連発し、残り40秒でなんとあのチームからタッチダウンを奪い取ったのである。TFPも成功して12対10!


しかし、攻撃権は相手に渡り、残りの40秒弱を相手は攻めずに時間を潰し、そして無情の笛が鳴った。


2点差とは言え、負けは負け。勝たせてやりたかった。


 


この試合で多くのことを学び、そして再確認した。


アメリカンフットボールと言うスポーツは、パスを投げるクウォーターバック、ボールを持って走るランニングバック、そしてパスを受けるレシーバーが花形のスポーツだ。


勿論、彼らは今回、充分以上の活躍を見せた。しかし、このゲームでは決して普段目立たないラインズ(体の大きなライン上のポジション)や相手のランプレイを止めるラインバッカーの活躍があった。日の目をあまり見ない彼らの「骨が折れてもやってやる!」と言う頑張りがあったからこそ日本一のランプレイを止めたのだ。


そして、更にどんな苦境に立たされてもしっかり勝利を呼び込んでくる相手チームはさすがだった。このスポーツでよく言われることは、「選手の1時間の練習に対して、コーチ陣の働きは5時間に値する」。


選手の努力は勿論、夜を徹して勝利のために尽力されたコーチ陣の方々に敬意を表したい。そして必ずや年末には日本一になられることをお祈りする。


 


試合が終わって、うなだれる彼らのひとりひとりの顔を見て、私は胸の中で賞賛を送った。


「高校生活最後に、一生の思い出になるゲームが出来たじゃないか!胸を張れ!奇跡を起そうと努力して、奇跡は起きなかったけど、起こそう!と本気で挑んだのは君たちだ!君達の頑張りがどれほど多くの人に感動を与えたか!」


それが証拠に、私自身も学生時代の頑張りを思い起こし、みなぎる活力を彼らから与えてもらったのだから。


これでこのチームは解散する。


この半年間の彼らの頑張りは、受験で必ず結果を出してくれるものと私は信じている。


あれだけの頑張りが出来る人間は、絶対に何だってやり切れる!そう言う気持ちにさせてくれた。

2012年10月22日 月曜日

久しぶりに「体育会の血」が踊る、体の芯から感動したお話をしたい。


 先日、私の甥っ子が所属するある公立高校のアメリカンフットボール部が、秋の公式戦で全日本高校チャンピオンチームに挑んだ試合のことである。


実はこの感動のストーリーは、約半年前から始まっていた。


対戦相手はここ数年何度も日本一に輝く、高校アメリカンフットボール界では群を抜く強豪校、素晴らしいコーチングスタッフ、練習環境は勿論のこと、選手層も厚く、多数の優秀選手を輩出する名実共に日本を代表する優秀なチームである。


一方、甥っ子の所属する高校は大阪府下でも有数の進学校であり、少ない部員数に加え、全員が受験を目指し、練習時間にも制限があり、またグラウンドは水はけが悪く雨が降ると二日間は使えないと言うような、劣悪とは言わないが決して整った環境とはいえない。


そんなチームが半年前の抽選会でこの強豪校と同じ予選組に入ってしまったときからこの感動の物語が始まった。


彼らは本気で「この強豪校に勝とう!」と話し合い、誰に強制されるわけでもなく、自主的に大きな目標に向かってキックオフした。


例年、進学校であるが故に、春の大会が終わると三年生全員が引退し、受験勉強に専念する。


ところがこのチームは違った。三年生全員が秋まで残って戦う!と誓い合い、受験勉強とフットボールの両立に、残りの高校生活を賭けた。


この半年間の彼等の生活は、通常の日々の授業が終わると、夕方まで練習、一旦家に帰って急いで夕食を採り、そのまま深夜近くまで塾に通い、戻ってきて寝るまでの間、三年生が集まって自主トレーニング・・・と言うような繰り返しをひたすら続けた。


そして、試合前一ヶ月には、これまた異例中の異例、三年生全員が頭を丸めて勝利することを確認し合った。


私はここまでの彼らの行動を見て、心底感動した。


これだけ多様化して選択肢の多い世の中に、ましてやあの多感な年頃に、自分の身を戒めて苦しいことに自ら立ち向かっていこうとする彼等の勇気ある姿に、こういう若者がいる限りまだまだ日本は大丈夫だ!、とも思った。


しかし、残酷ながら私の拙いヘッドコーチ経験からしても、現実は「うまく行って21対7、へたするとコールド?」と言うのが正直な予想だった。

2012年10月15日 月曜日

その37に引き続き、尖閣諸島問題に関する所感だが、ここのところもっぱらの話題はこの尖閣諸島問題である。


どなたとお会いしてもまずこの話題になる。


しかし、最近気になるのは「あの中国国内での暴動によって、またふたたび仕事が日本に戻ってくることを期待している。」という声がやたら多いことだ。


戻ってくるものを拒まない寛大な精神は必要であろう。


がしかし、「世界経済の大きな流れ、技術革新の大きな流れ」と言う観点に立って考えたとき果たしてそれらの期待は如何なものかな?と思う。


世界の経済や技術の流れは、水の流れと同様、高いところから低いところへと移っていくものと考える。発展途上国が先進国に学び、いずれは経済発展し国民の生活が安定する。次は貧困国が発展を目指し、より良い生活を過ごせるよう努力する。その基盤となるものが技術革新であると考えている。すなわちバトンの引渡しである。


中国へ流れた仕事は、必然的に流れたもの、すなわち大きな世界経済の流れに従って移行したものである。


「国内空洞化」と言う言葉を聞いて久しいが、それは我々日本人が先進国の一員として永い間、同じ椅子にどっかりと座りすぎた結果なのかもしれない。


よくよく考えてみると、戦後の焼け野原から立ち直り、目覚しい経済発展を成し遂げた我々日本も、アメリカを始めとする先進国の技術を取り入れ、より安く高品質なものを世界に発信したからこそ成しえた発展であったはずだ。


大きな経済の流れで必然的に去っていったものに対して戻ってくる期待をする前に、次世代のために、次々世代の子孫のために、世界に通用する技術の遺産を今を生きる我々は残す努力を惜しまないことの方が先決だと強く思う。