2012年3月23日 金曜日
温故知新 その29

以前このブログで「石松君」のことを書いたところ、多くの人から評価を頂いた。


私は犬との繋がりが人一倍強く、「前世は犬だったんじゃないかな?」と思うほど、


犬の気持ちが解るし、会話が出来る。


この半世紀の間、石松君をはじめ、多くの犬達との忘れられない思い出が沢山ある。


今日は「キャティー」と言うコリー犬のお話をしたい。これも学生時代の話である。


 


石松君を亡くして「もう悲しい別れをしたくない」という思いから、長らく犬を飼わなかった。何年かしたある日、私が通う大学グラウンドの近くのペットショップのショーウィンドウで生後数ヶ月のコリー犬と出会った。これがまたたいそうかわいい子犬で、手を差し伸べると喜んで転がりまわってくる。


「あ、いけないいけない、情が移ると大変なことになる」とできる限り遠目に見るようにした。でも、毎日通る道なのでどうしても目に留まる。


一ヶ月ほどしたある日、いつも通りそのペットショップを通ると、いるはずのあのコリーの子犬がいない。「売れてしまったんだろうか?」一瞬、悲しい気持ちになった。


次の日も、そして次の日もやはりあの子の姿は無かった。


思い切ってそのペットショップを訪ねてみた。すると店主のおばさんが「あ~あの子ね?名古屋の人に買われて行ったよ。」と。


「そう言やあなた、ちょくちょく見にきてくれてたね。」どうやらお店の中から見られていたようだ。


なんか寂しい気持ちで店を出た。


それから三ヶ月ほど経っただろうか?いつも通りそのお店の前を通ると、子犬とは言えない中型のコリーが居た。よく見るとどうもあの子犬に似ている。思い切っておばさんに尋ねてみた。


すると「そう、あの子だよ。ひどい話でね、名古屋の飼い主さんが都合が変わって飼えなくなったからお金は要らないから引き取って欲しい、と無理やり置いていったのよ・・・」


なんとひどい話だろう。まるでおもちゃのように要らなくなったら放り出す、命あるものに対してそんなことが出来る神経に無性に腹が立った。


「もうここまで大きくなると売れないから、私が引き取って一緒に暮らすのよ」とおばさんは言った。


その後、何回かその子に会いに行っているうちに、「あんた、本当に犬が好きなのね。連れて帰る?」おばさんは冗談半分で言ったのだろうが、その声を待っていたかの様に私は「えっ!いいんですか?」と咄嗟に声が出た。


「あの~僕、学生で用意できるお金がわずかしか・・・」と切り出すとおばさんは「この子は売り物じゃないのよ。あなたさえ良ければ、この子はそれを望んでるように思うし。」


 


こうしてその日からその子との生活が始まった。名前は、実は飼う前から「キャティー」と名付けていた。


キャティー、その子は生後9ヶ月、女の子でおてんば、でもいつも首をかしげて私の話を聞く、とても利口な子だった。


それからどこへ行くのもキャティーと一緒、大学へ行くときも、休みの日も、寝るときも


ずっと一緒にキャティーと過ごした。