2011年9月16日 金曜日
温故知新 その16

梅雨になると思い出すこと


 


~石松君との別れ~


 


そんな状況が一時間近く続いたそうですが、父が「とにかく一旦みんな落ち着いて次の連絡を待とう!」と家族を落ち着かせ、何気なくふと石松君を見ると、さっきまで吠えて走り回っていたはずなのに、ぐったりと横たわっている・・・。


抱き上げてみるとすでに息を引き取っていたそうです。


そうとも知らずに、翌朝目を覚ました私は、昨日までの状態とは一転して、嘘のように吐き気はしないし、めまいも無く、熱も下がって普通にベッドから起き上がることが出来ました。


おまけに食欲も出て強烈な空腹感を覚えました。


「昨日までの状態は一体なんだったんだろう?」と思うくらい一気に回復したのです。


さぞかし心配しているであろう家族にこの回復した状態を伝えなくては!という気持ちと


その反対に、これだけあっけなく回復したことを伝えるのもなんか嘘をついていたように


思われるのでは?という複雑な気持ちになりました。


でもともかく電話を入れ「何とか回復に向かった。もう心配ない。」とだけ伝え、電話を切りました。


その後は勿論、完全に回復し、残りの旅行を続けました。


私が石松君の死を知ったのは、数週間後に無事日本に到着したときです。


旅行中に心配させてはいけないという家族の配慮でした。


自宅に戻ったときにはすでに石松君は庭の土の中、「石松の墓」という墓標に手を合わせることしか出来ませんでした。


間違いなく彼は私が助けた彼の命と代替に、私の命を身代わりとなって私を助けてくれたのです。


家族には一切のお土産は買えなかったのですが、唯一石松君に買ったアメリカ製の星条旗の首輪を一緒に埋めてやりました。


この世に生まれて、すぐに交通事故に会い、片目や片足、アゴを失い、声も失い、でも一生懸命生きることを私に教えてくれたのに、私を救うことで自らの命を差し出してくれた石松君の一生は本当に幸せだったんだろうか?


そのときは悩みました。


でも、限りなく短く壮絶な彼の生き様から、何かとてつもなく大きな命の大切さを学んだ気がします。


あれから数十年の歳月が流れましたが、石松君の教えてくれたこと、今でもしっかりと私の胸の中にいきづいています。