2012年3月 のアーカイブ
2012年3月30日 金曜日

最近、金型の離形性処理事業が好調である。


弊社がこの事業に乗り出したのはかれこれ30年前のことである。


今では、優れた離形剤の開発が進んだり、各めっき薬品メーカーさんが出されている


ニッケルーテフロン複合めっきなどが市販され、ライバルも多く存在する。


しかし弊社はこの30年の間、地道な基礎開発を一時も怠らず常に革新的な開発を行ってきた。


その結果、社内には界面活性剤のスペシャリストや、分散剤のスペシャリストが多く育ってきた。


その他にも電気化学のスペシャリスト、金属工学のスペシャリストが加わって、多くの観点からの熱い議論が毎日繰り返され、それらが開発品にうまく反映されているのが今の好調の根源であるように思う。


言ってしまえば簡単だが、例えばそれらを具現化させるために使われた実験用テストピースは数十万枚を裕に超えるし、生産業務には一切関わらない研究開発に専念する研究員の費やした時間は50万時間に及ぶ。


このような目に見えない小さなノウハウ、努力の積み重ねが大きな技術として、今の世の中の一端を担っていると言う責任は大きい。


 


今期の開発テーマ数は、弊社の社歴のなかでも過去最多数であり、毎日が大変エキサイトである。


その中のいくつかのテーマは、近々、具体化され工業化へと進んでいく。


どれもが大変エキサイティングで、過去の世の中になかった全く新しくかつ学術的にも高い評価の得られる技術である。


 


新工場の建設も始まり、新たなチャレンジへのゴングが鳴った。


より一層、社員が一丸となって世の中への貢献を誓っている。

2012年3月23日 金曜日

以前このブログで「石松君」のことを書いたところ、多くの人から評価を頂いた。


私は犬との繋がりが人一倍強く、「前世は犬だったんじゃないかな?」と思うほど、


犬の気持ちが解るし、会話が出来る。


この半世紀の間、石松君をはじめ、多くの犬達との忘れられない思い出が沢山ある。


今日は「キャティー」と言うコリー犬のお話をしたい。これも学生時代の話である。


 


石松君を亡くして「もう悲しい別れをしたくない」という思いから、長らく犬を飼わなかった。何年かしたある日、私が通う大学グラウンドの近くのペットショップのショーウィンドウで生後数ヶ月のコリー犬と出会った。これがまたたいそうかわいい子犬で、手を差し伸べると喜んで転がりまわってくる。


「あ、いけないいけない、情が移ると大変なことになる」とできる限り遠目に見るようにした。でも、毎日通る道なのでどうしても目に留まる。


一ヶ月ほどしたある日、いつも通りそのペットショップを通ると、いるはずのあのコリーの子犬がいない。「売れてしまったんだろうか?」一瞬、悲しい気持ちになった。


次の日も、そして次の日もやはりあの子の姿は無かった。


思い切ってそのペットショップを訪ねてみた。すると店主のおばさんが「あ~あの子ね?名古屋の人に買われて行ったよ。」と。


「そう言やあなた、ちょくちょく見にきてくれてたね。」どうやらお店の中から見られていたようだ。


なんか寂しい気持ちで店を出た。


それから三ヶ月ほど経っただろうか?いつも通りそのお店の前を通ると、子犬とは言えない中型のコリーが居た。よく見るとどうもあの子犬に似ている。思い切っておばさんに尋ねてみた。


すると「そう、あの子だよ。ひどい話でね、名古屋の飼い主さんが都合が変わって飼えなくなったからお金は要らないから引き取って欲しい、と無理やり置いていったのよ・・・」


なんとひどい話だろう。まるでおもちゃのように要らなくなったら放り出す、命あるものに対してそんなことが出来る神経に無性に腹が立った。


「もうここまで大きくなると売れないから、私が引き取って一緒に暮らすのよ」とおばさんは言った。


その後、何回かその子に会いに行っているうちに、「あんた、本当に犬が好きなのね。連れて帰る?」おばさんは冗談半分で言ったのだろうが、その声を待っていたかの様に私は「えっ!いいんですか?」と咄嗟に声が出た。


「あの~僕、学生で用意できるお金がわずかしか・・・」と切り出すとおばさんは「この子は売り物じゃないのよ。あなたさえ良ければ、この子はそれを望んでるように思うし。」


 


こうしてその日からその子との生活が始まった。名前は、実は飼う前から「キャティー」と名付けていた。


キャティー、その子は生後9ヶ月、女の子でおてんば、でもいつも首をかしげて私の話を聞く、とても利口な子だった。


それからどこへ行くのもキャティーと一緒、大学へ行くときも、休みの日も、寝るときも


ずっと一緒にキャティーと過ごした。



2012年3月9日 金曜日

小学校低学年の頃だっただろうか。先々代(私の祖父)の社長室に遊びに行ったとき、壁に掛けてある標語があった。


“ 百の意見をするよりも、親の背中を見て育つ子供 ”


 恐らく祖父の自筆だったように思う。


それを見て祖父に聞いてみた。「これってどういう意味?」すると祖父は「あんたがお父ちゃんやお母ちゃんによく叱られてるやろ?その時にな、お父ちゃんやお母ちゃんは自分もそのとおりにやってるかどうか見ればいいねん。」とニコっと笑いながら教えてくれた。


当時は荒を探す立場だった私も、今では逆の立場になった。


社員の人たちや子供達に、ガミガミ意見を言う前に、自分の生き様、行動を見てみんなが学ぶとしたら、やっぱり自分はしっかりと襟元を正し、いついかなるときも前向きに生きるべき!と改めて思う。


大きな背中を見せながら、後世に生きることの素晴らしさを伝えて行くような人生でありたいですね。