梅雨になると思い出すこと
毎年、梅雨になると思い出すことがあります。
私の学生時代の話です。ある日の夕方、最寄の駅に降り立つと、案の定外は梅雨の大雨、人波にまぎれて歩道を歩いていると、なにやら人々が避けて通る物体が。
近づいて見てみると小さな犬が雨に打たれて道端にうずくまっている姿が。
更に近づいてよく見ると、そこには信じられない光景が・・・。
それは、恐らく車にひかれた直後の子犬で、内臓がはみ出し、全身血まみれで横たわっていました。
思わず目をそらしたのですが、はみ出した内臓が確かに鼓動を打っている。
「まだ生きてる!」私はとっさに散らばった内臓をかき集め、その子犬を抱き上げ、かさを捨てて一目散に家に向かって走り、自宅に着くやいなや知り合いの獣医さんに電話をかけ事情を話すと「すぐに連れてきてください!」とのこと、自転車の前籠にタオルを敷き、必死で獣医さんの元へ運びました。
数時間後、緊急手術を終えた獣医さんは「何とか命は取り留めました。しかし・・・」
その先を聞く前に、「命さえあればあとはどうにでもなる」と集中室の容器の中に横たわる子犬に会いに行きました。
そこには、右後ろ足が切断され、あごから下も切除、右目も切除縫合した無残な姿の子犬が・・・。
でもしっかり生きている!
もちろん私達家族はこの子犬を引き取って育てることにしました。
この子の生命力はすざましく、手術後数週間で退院、無事我が家の一員となりました。
まずは自由に歩きまわれるようにしてやる為に、かまぼこ板に車輪をつけた「車椅子」を作り、腰からベルトで固定してやりました。
あごから下がないので、常時舌がダランと出っ放し、おまけに片目がない・・・、そこで名前を「森の石松」から「石松君」と名づけました。
石松君を初めて見る人は、お世辞にも「かわいい!」とは言えず、たいそう困った表情をして、なんていえば良いのか困っていらっしゃる光景が今も思い浮かんで思わず微笑んでしまいます。
(石松君を見た小さな子供は確実に泣いてました)
声帯の半分以上も無くした為、鳴くことも出来なかったのですが、数年後にはすすり泣くような声を出すことが出来るようになったり、食事も喉で砕いて食べることが出来るようになったり、一年も経たないうちに、車椅子無しで三本足で上手に歩けるようになったりとか、とにかく石松君の生命力には驚くことばかりでした。
犬種は「チン」で、ただでさえこっけいな顔つきの犬なのに、うちの石松君は更に強烈なインパクトを持つ子で(笑)、でも私にとってはとても健気でかわいい子でした。
「声帯が無くなっても声を出し続けていれば何とか出るようになるんだよ」とか「歯が使えなくても一生懸命ご飯を食べているうちに喉がその代わりをしてくれるようになるんだよ」とか「せっかく車椅子作ってくれたんだけど、努力して自分で歩けるようになりましたよ」とか「生きる」ということに対するすざましいまでの前向きな生き様を教わりました。
家に帰って真っ先に「石松く~ん」と呼ぶと、斜めに走りながらつまずきながら尻尾を振って飛びついてくる姿が今も目に浮かびます。