社長の声
2013年1月28日 月曜日

ボーイング787            


最近新聞紙上を賑わしているボーイング787。


中型機としては徹底的な軽量化により、大型機でないと飛行できなかった距離もカバーできるというお墨付きでデビューしたまでは良かったのだが、相次ぐトラブルに見舞われている。この機種には35%程度の日本の技術が採用されていると聞く。


ある意味、日本のものづくりの真価が問われることになるであろうこの現状に屈することなくこのハードルを越えて行かねばならない。


弊社も宇宙産業や、航空機産業に関わる企業として今までの心構えをより強くより大きく発想を変えて行く。


例えば「10ミクロン±1ミクロンの精度」と言って喜んでいる場合ではない。


近未来にはオングストローム(0,1ナノメートル)の精度を可能にする目標意識が求められる。


精度は勿論のこと、耐食性や耐磨耗性、すべり特性や耐熱性、全ての機能性についての評価基準や特性評価の社内基準を上げて行く。


これからの我が国に求められるのは、中小零細から大企業に至るまでがっちりスクラムを組んで各企業がより切磋琢磨して、異次元の技術に果敢にチャレンジしていく姿勢が大切だ。


2013年の弊社は大きく変わっていく。


 そんな中、私の私生活はと言うと、200km走行毎にプラグを磨いてやらないと走れない車や、一日10秒遅れる機械式腕時計、煙をモクモク出しながら走るバイク(エコとは程遠い?)に囲まれた生活を送っている。


言い訳にしか聞こえないかもしれないが、今年も例年となんら変わることなく「偉大な先人達がこの世に送り出した文化の遺産」に囲まれものづくりの大切さ、温故知新を感じながら超先端技術にチャレンジし続ける。

2013年1月21日 月曜日

ホームランと送りバント


ホームランバッターはいつも脚光を浴び、反対にバントの名手はさほど注目されない。


しかし、弊社の方針は「ホームランは狙わない」「常にこつこつ塁を埋めて送りバントで貴重な1点を積み重ねる」である。


場合によっては五年先の為の送りバントもある。


すぐに点は入らないが、黙々とバントし続ける。


研究所の仕事がまさにそれである。


ひとつの答えを求めて、何千枚ものテストピースを黙々と処理し続ける。でも答えが出ないことが大半である。


1000分の1ccの添加剤の影響を確認する為に、数百時間を費やす。


何度か心折れそうになったその先ではじめて結果が出る。


製造部の仕事も同様だ。


決して華やかな仕事ではない。


毎日工業部品と向き合い、数ミクロンの皮膜を精度高く仕上げたり、針の先をマスキングしたり、1℃や2℃の温度管理に神経を費やしたり・・・。


それらを集計し、綿密なデータを作成する事務所の仕事も含め、すべてこの地道な活動で弊社は成り立っている。


そんな地味で神経の使う仕事を、愚痴不平弱音ひとつ吐くことなく、前向きに明るく元気に頑張ってくれている弊社の社員は、大げさな表現かもしれないが、「国家の宝」である。


今年もこのメンバーで一生懸命切磋琢磨して世の中のために貢献できるよう頑張って行きたい。

2013年1月7日 月曜日

最近の私の通勤の足は、1934年式のポンコツバイクだ。


一年ほど前にイギリスのネットオークションで見つけたものを輸入した。


どう見ても走るような気配すらないこのポンコツバイクを日本の公道で走らせて見たいと思った。


手元に来たときは、写真で見る以上に「こりゃ走れる代物ではないわ・・・」が第一印象だった。


ブレーキは利かない、ハンドルはガタガタ、タイヤはひび割れ、エンジンなどは言うまでもない。


キックを1000発蹴ろうが、うんともスンとも言わない。


しかし、今から約80年も前のイギリスの賢人達が創意工夫して作られたであろう風格と言うか


オーラだけはしっかり出ていたし、ましてやその賢人達に敬意を表する意味でも、しっかりと息吹を吹き込み、


80年前のようにしっかりと走らせないといけない!と言う義務感のようなものだけはしっかりと感じていた。


結果的に、ここから我慢の一年が始まった。


まずエンジンをばらすと意外と内側はしっかりしていた。覚悟していただけに宝くじに当たったような気分になった。


ミッションもばらし、電気系統も一からやり直し、欠品パーツをすべて整え、こつこつと、気の遠くなるような作業が


続いた。


それから一年、無事公道デビューを果たした。


このバイクはエンジン始動に関し、すこぶる苦労のいるバイクで有名なのだが、今では軽い振り下ろしキック数発で


元気良く鼓動を響かせる。


走りは?と言うと、ちょっとした道路のコブを踏んだだけで吹っ飛びそうになるし、クッションなんてあったもんじゃない、


シフトとブレーキが左右逆に付いていて、おまけにどちらも超硬い。


加速は原チャリに置いていかれるし、到底現代車と比較するもおかしな話なのだが、完敗・・・。


でも私がいつも感じながら走っているのは、「このバイクの数年前までみんな馬に乗ってた時代。馬から乗り換えた人達


さぞや感動の毎日だったんだろうなあ」。


そう言う思いで走るとやはり先人達のものづくりに賭ける熱き情熱のようなものが伝わってきて感慨無量になる。


エコとは真逆を行ってるのかもしれないが、古いものを大切にするという思想も今後の我々の生活の中に定着させて


いく必要もあるような気がする。


これでこのバイクは、もう20年は元気に走れると思う。20年後には「1世紀を走りぬいたバイク」として後世に伝えて


いけたら素晴らしいことだと思う。