社長の声
2011年10月14日 金曜日

雅楽師 東儀秀樹


 


そんな出会いをきっかけに、私達はあるときは深夜まで車やバイクの話、あるときは夢を語り合ったりした。(私のレベルに合わせてくれてる?)


でもいつも思うのは、そんな話をしているときの彼は、本当に純粋で屈託がなく、まるで夢見る少年がそのまま大きくなったような爽やかさを感じる。


でも彼の仕事は雅楽師。私達が想像もできないような荘厳で厳格な大きな責任を一手に担っている。そのギャップが私には不思議でならなかったし、魅力的だった。


そんなある時、彼のコンサートに行った。


結論から言うと、「衝撃的」だった。と言うのは、私の少ない知識から知りえる「雅楽」と言うのは笙(しょう)や篳篥(ひちりき)などの管楽器や琵琶、琴、打楽器類で表現される音楽、と考えていたのだが、彼のステージは雅楽をしっかりとした骨格に持ちながら、異文化とコラボレーションされた、今までに体験したことのない新しい音楽文化のような衝撃を感じたのである。


私が始めって行ったコンサートは、彼が自ら中国上海に出向いて、中国民族楽器の若手演奏家をプロデュースして「TOGI+BAO」というユニットを組んでのコンサートだった。


中国民族楽器との合奏あり、ロックあり、でも根底にはしっかりとした紛れもない本物の「雅楽」が脈々と流れている。


俗っぽい表現は良くないが、「めちゃくちゃカッコ良かった」


それから何度も彼のコンサートに足を運ぶようになった。演奏が終わると必ず楽屋にお邪魔するのだが、そこには先ほどまでの雅楽師の東儀秀樹ではなく、親友の気さくな東儀秀樹が居る。


私はいつも彼のその心地よい「ギャップ」を感じていた。


まさに彼は「雅楽」と言う宮廷音楽を骨格にし、自分が得てきた様々な感性を見事にコラボレーションさせ、見る者を飽きさせないまったく新しい分野を開拓し、そしてその活動を通じてひとりでも多くの人に「雅楽」の素晴らしさを伝え、広めていくことを自らの責任としてその重責を心底楽しみながら舞っている、それが東儀秀樹の魅力であることに気付いた。


現に私自身も、それまで縁の遠かった「雅楽」というものの魅力を彼によって気付づかされ、そして楽しみ、今ではすっかり雅楽のファンとなっている。


温故知新・古き良き歴史、伝統を後世に伝えていく術、私の中にあった迷いが、雅楽師東儀秀樹の生き様を見て、スーっと消えていった。


 

2011年10月6日 木曜日

雅楽師 東儀秀樹


 


私の親友に雅楽師の東儀秀樹さんがいる。


彼は千数百年に亘り宮廷音楽である雅楽を継承する東儀家に生まれ、今現在もその重厚な歴史と荘厳な文化を継承し、第一線で活躍されている。


彼自身も宮内庁の職員として宮中儀式を継承するため17年間皇居に勤めるという、我々一般庶民には想像もできない経歴を持つ。


そんな彼と、私のような一般庶民が通常出会える術などはないはずであるが、8年前にひょんなことで知り合った。


 


このブログで私は「温故知新」と言うテーマで色々なことを書いてきた。


先人に学び、歴史や古いものに敬意を表し、そして今を生きる我々が文化を継承しながらたくましく生きると言うようなことを伝えたくて書いてきた。


今日は、その「温故知新」という生き方を見事なまでにスマートに、そして力強く、美しく行動している彼の生き様を紹介したく筆を取った次第である。


 


「雅楽」「宮廷音楽」「宮内庁」と言うような言葉から、彼は我々からするとまさに「雲の上の人」と言うイメージで捉えるのが当然の流れである。


彼と会うと間違いなくそう言う厳格・荘厳というようなオーラを強く感じる。


しかしそれは彼の骨格に流れている遺伝子がそう言うオーラをかもし出しているのであって、実際はとても気さくで和やかで人をひきつける魅力がある。


彼との出会いの共通テーマは「クラシックカー」だった。


実は彼もクラシックカーをこよなく愛し、自らもハンドルを握り数々のレースに出場する、


日本でも有名なクラシックカーエンスージアストなのである。


彼とはあるレースで知り合った。


彼と会う前、私の中ではやはり、荘厳な歴史や文化を継承する、「近づき難いの人」と言うイメージだけはどうしても払拭できなかった。


しかし、彼は車も好きならバイクも大好き、たまたま好きなバイクや車がぴったり一致して意気投合した。エレキギターもやればクラシックもJAZZも大好き、機械をばらしては組み立てたり、バイクの部品を自分でコツコツ作ったり・・・・、彼と会う前のイメージは、良い意味で完全に崩れた。


 

2011年9月30日 金曜日

何を持って社会に貢献するか?


リーマンショックに続き、ここのところの急激な円高等、我々日本を取り巻く経済環境は過去に例のない非常に厳しい状況を迎えています。


大企業を始め中小企業までもが「海外に拠点を」とざわめいています。


一時期の、「人件費の高騰による中国への進出」と言う「ブーム」的な発想ではなく、今回の流れは切羽詰まった企業の大きな生き残り戦略の一環として捉えられているように思います。


誰の意見を聞いても大半以上の人が「日本にはもう仕事がない」と嘆く意見が蔓延しています。


私個人の意見は、確かに「日本に仕事は残っていない」と言うのは一部うなづけます。


しかし果たしてそれだけでうろたえていていいのでしょうか?


「仕事を造る!」と言う努力を怠ってはいないでしょうか?


戦後の焼け野原の中から立ち上がったときの先人達の力強さはどこへ消えてしまったのでしょうか?


不可能を可能にする先人達の不屈の精神が今の日本の骨格にあるべきはずが、その骨格すら見えなくなってきている現状、果たしてこれでいいのでしょうか?


私はまだまだ国内のものづくりにおいて、困っている問題、解決できない、しかし解決すべき問題は山積みだと思っています。


今一度、原点に戻って世の中にない技術を生み出すバイタリティーこそが現代を生きる我々に求められ、また世界に君臨する技術立国として誇りを持てる骨格とすべきであるように思うのです。


幼い頃、学校の先生を始め、父や祖父からも「日本には資源がない。だからこそ少ない資源を利用して知恵を絞って器用な手先を駆使して世界と戦っていかなければならない」と教わりました。


まさに「温故知新」、私は先人の教えを全うしていく決意です。


そして、世の中にない、世の中の為になる画期的な技術を確立し、世の中に貢献していく、と言う極めてシンプルな生き方を全うします。