社長の声
2012年4月26日 木曜日

大型犬の寿命は、「長くて10年、短ければそれ以下」と言われている。


キャティーもそろそろ白髪が目立ち始め、足腰もかなり弱ってきた。


ある日私は市内の自宅マンションで長女を、絵本を読みながら寝かしつけていた。


私もつられてウトウトしだした時に、キャティーが畳の上に乗って川を下りながらペコペコ頭を下げている夢を見た。


私は咄嗟に目が覚め、嫌な予感が走った。


家内にそのことを話すと


「単なる夢には思えない。パパとキャティーの間はテレパシーでいつもつながっているから。夜遅いけど実家に電話してみれば?」と言った。


私は恐る恐る実家に電話すると父が出た。


「キャティー元気?」


すると父はどうもおかしな口調で「あ、ああ。」とだけ答えた。


 


次の日会社で父にもう一度聞いてみると、


「実はなあ、お前が心配すると思ったから言わなかったんだけど、一昨日からキャティーの姿が見当たらない。


ビラを100枚刷って近所の人にも探してもらったけど見つからない」とのことだった。


私は仕事を放り出して急いで実家に向かった。


道中、色んなことを考えた。


あの利口な子が家族に心配掛けるようなことをするはずが無い。


道に迷うはずも無い。


昨日見た畳の上、川、何だったんだろう?近くの池にでもはまってしまったんだろうか?


道端で車にでもひかれたんだろうか?


一時間の道中が異常に長く感じた。


実家に着くと、母と祖母が目を真っ赤にして私を待っていた。


私は「大丈夫。落ち着いて探せば必ず見つかるよ。」と二人をなだめた。


祖母も悪い足を引きずって毎日探し回ってくれていた。


母も50ccバイクで心当たりを探し回ってくれたそうだ。


近所の電信柱を見ると、父が作った「捜索願い」のビラがあちらこちらに貼ってあった。


 


私はまず近くの山に登ることにした。


この山はキャティーが大好きな山で、キャティーのおもちゃを沢山隠してある場所があった。


一目散にそこへ行ってみた。


姿は無かった。


次にいくつかある池を回ってみた。恐れながら水面を丁寧に探してみた。


やはり姿は無かった。


探し回っているうちに涙が頬をずっと流れていた。


寂しかったのかなあ?僕に会いたかったのかなあ?会いに来ようとして息絶えたのかなあ?


頭がおかしくなりそうになった。


そして落ち着いてもう一度昨日の夢を思い出した。畳、川、畳、川・・・。


「そうだ!川だ!この近くの川を探そう!」走って実家に戻り車に乗った。


でも実家の近くに川などは無い。旧国道まで降りて近くの人に尋ねてみた。


「こんな犬見ませんでしたか?」


何人に尋ねても、「さあ~?見ないねえ・・・。こないだから何回も聞かれてるけどねえ・・・」


「じゃあこの近くに川はありますか?」


すると、「川は無いけど用水路ならこの先にあるよ」


 


教えてもらった用水路へ急行した。


畑の間を流れる深さ2m、幅1mほどの用水路が1kmばかり続いていた。


私はその中間地点に車を止め、必死で水面を探した。


端までの500mを探したが見つからなかった。もう一度逆方向に向かって丹念に探した。


すると私が車を止めた真下に一部分だけ人が降りれる程度の平地があった。


さっきは慌てて止めたので全く気付かなかった。そこだけ水にさらされない平地になっていた。


そこにキャティーが横たわっていた。私は膝から崩れた・・・。


そして躊躇せず私は冬の用水路に飛び込んだ。


水は腰まで流れていたが、幸いキャティーの体は濡れていなかった。


勿論、彼女は息をしていなかったが、平穏な寝顔だった。


彼女を抱きかかえて、2mある壁を登ることは出来なかった。


実家に戻り、毛布とロープを持ってもう一度キャティーの元へ戻って彼女を引き上げた。


「ごめんな」を念仏のように唱えるしか出来なかった。


 


私に会いたくて一人で弱った足ででかけたんだろうか?その途中で力尽きてしまったんだろうか?


寒かっただろうなあ?辛かっただろうなあ?


最後の力を振り絞ってテレパシーを私に送ったんだろうなあ。


畳に乗って川を流れていくテレパシーを・・・・。


私は最愛のパートナーを失うたびに「この子は私の元にきて本当に幸せだったんだろうか?」いつもそう思う。


ただ、今も私の頭の中にはっきり残っているキャティーの姿、それは何度も何度も頭をぺこぺこ下げている姿。


それが最後の彼女の映像である。


「出戻りの私を救ってくれてありがとう。」


「飼ってくれてありがとう。」


そう彼女は言ってくれてたんだと思っている。


夢の中で彼女が乗っていた畳、それは私と一緒に暮らしていた時、余った一畳の畳を部屋に敷いていて、そこが彼女の特等席だった。


彼女の何よりお気に入りの畳だった。


そのお気に入りの畳に乗って、どこかへ行ってしまった彼女は今、私との思い出を大切にしてくれているのだろうか?


私は今も大切な大切な思い出として心に刻んでいる。



2012年4月6日 金曜日



キャティーはたいそう賢い子で、どこへ行くにもリードなどつける必要はなかった。


おてんばの割りに強烈な寂しがり屋で、一瞬でも私の姿を見失うと必死で探し回って横に着く。


恐らく一度飼い主から捨てられた経験がそうさせているのだろうと思うと不憫でならなかった。


家族にも良くなつき、いつも笑顔で活発な子だった。


体はどんどん大きくなり、メスのコリー犬にしては驚くほどのビッグサイズで、「この子メスなんです・・・」と言うと大概の人は驚いた。


唯一の欠点は、誰を見ても尻尾を振って愛想を振りまき、「番犬」としては全く落第、おまけに「吠える」ことをあまりしない子だった。


コリーと言えば「名犬ラッシー」の主人公になった犬種、利口で大人しく、人間以上の能力がある犬とされている。


うちのキャティーはラッシーと比較するには???な子だったが、まあそれは映画の世界であって、私にとっては充分な利口なパートナーだった。


そんなキャティーと沢山の思い出を作った。


日曜日の朝方、遅くまで寝ている私のベッドにもぐりこみ、起きるまで顔をぺろぺろ舐め続けたり、食事の時間になると、自分で食器を咥えて持ってきたり、車で出かけようとすると「連れて行く」とは言ってないのにいち早く車の前で待ってたり・・・。


どこへ行くのも一緒に行動した。海や山や川、そして繁華街にまで一緒に出かけた。


 


キャティーを飼い出して五年の歳月が流れ、私は結婚して大阪市内に住むことになった。


当然、市内のマンションは大型犬を飼うことができないので、実家に置いていくことになった。


 


でも、ほとんど毎週末、私達夫婦は実家に通った。


「両親に顔を見せる」目的よりもキャティーに会いに行く目的、と言ってしまうと問題があるので、ここでは前者を理由としておこう。


当時私は5万円で買ったボロボロのフォルクスワーゲンビートルに乗っていた。


確かにエンジン音は独特で、誰でも聞き分けることの出来る気高い音だった。


それにしてもいつも母親が「あんたが帰ってくる10分くらい前になるとキャティーがそわそわしだして、必ず玄関の前に行くのよ。それを見てあんたが帰ってくるのがわかる。」と言っていた。


10分と言うと、距離で言えば5~6km、そんな遠くからいくら特殊なエンジン音と言えども聞き分けることが出来るのだろうか?


私はいつも疑問に思った。


今の時代なら、キャティーがそわそわしだした時点で携帯電話に連絡をもらえれば正確な距離を測れたが、当時は携帯電話など無い時代、推測でしかなかったが、毎回必ず10分という正確な行動を彼女は取っていたようだ。


「以心伝心」彼女は特殊な能力で私が近づいてくるのを感知していたのだろうか?


そんな疑問が一掃される「事件」が起きた。


私の実家は電車の便が悪いところにあったので、必ず車を利用していたのだが、ある日、何かの事情で電車で帰ることにした。


するといつもは大人しいキャティーが突然玄関の門をくぐりぬけ、一目散に走り出したのだそうだ。異常なキャティーの行動に驚いた母は叫びながらキャティーを追いかけた。


でも一瞬で見失ってしまった。


母が探し回って最寄の駅まで行くと、改札の前にちょこんと座っているキャティーの姿を見つけたそうだ。


ちょうどそのとき私の乗る電車が駅に着き、ほとんど無人駅の改札を見ると、母とキャティーが居る。


「あ~、二人で迎えに来てくれたんだ」と普通に思った。


でも良く考えてみると電車で帰ることなど誰にも伝えてない。


私は母に「なんで電車で帰ることがわかったの?」と聞くと母は息を切らせながら事情を私に説明した。


やっぱりキャティーは車の音を聞いていたのではなく、以心伝心、テレパシー、なにか私達にはわからない特殊な判別機能を持っていたんだ。


「ひょっとしたら、この子はラッシー以上かも?」本気でそう思った。


 

2012年3月23日 金曜日

以前このブログで「石松君」のことを書いたところ、多くの人から評価を頂いた。


私は犬との繋がりが人一倍強く、「前世は犬だったんじゃないかな?」と思うほど、


犬の気持ちが解るし、会話が出来る。


この半世紀の間、石松君をはじめ、多くの犬達との忘れられない思い出が沢山ある。


今日は「キャティー」と言うコリー犬のお話をしたい。これも学生時代の話である。


 


石松君を亡くして「もう悲しい別れをしたくない」という思いから、長らく犬を飼わなかった。何年かしたある日、私が通う大学グラウンドの近くのペットショップのショーウィンドウで生後数ヶ月のコリー犬と出会った。これがまたたいそうかわいい子犬で、手を差し伸べると喜んで転がりまわってくる。


「あ、いけないいけない、情が移ると大変なことになる」とできる限り遠目に見るようにした。でも、毎日通る道なのでどうしても目に留まる。


一ヶ月ほどしたある日、いつも通りそのペットショップを通ると、いるはずのあのコリーの子犬がいない。「売れてしまったんだろうか?」一瞬、悲しい気持ちになった。


次の日も、そして次の日もやはりあの子の姿は無かった。


思い切ってそのペットショップを訪ねてみた。すると店主のおばさんが「あ~あの子ね?名古屋の人に買われて行ったよ。」と。


「そう言やあなた、ちょくちょく見にきてくれてたね。」どうやらお店の中から見られていたようだ。


なんか寂しい気持ちで店を出た。


それから三ヶ月ほど経っただろうか?いつも通りそのお店の前を通ると、子犬とは言えない中型のコリーが居た。よく見るとどうもあの子犬に似ている。思い切っておばさんに尋ねてみた。


すると「そう、あの子だよ。ひどい話でね、名古屋の飼い主さんが都合が変わって飼えなくなったからお金は要らないから引き取って欲しい、と無理やり置いていったのよ・・・」


なんとひどい話だろう。まるでおもちゃのように要らなくなったら放り出す、命あるものに対してそんなことが出来る神経に無性に腹が立った。


「もうここまで大きくなると売れないから、私が引き取って一緒に暮らすのよ」とおばさんは言った。


その後、何回かその子に会いに行っているうちに、「あんた、本当に犬が好きなのね。連れて帰る?」おばさんは冗談半分で言ったのだろうが、その声を待っていたかの様に私は「えっ!いいんですか?」と咄嗟に声が出た。


「あの~僕、学生で用意できるお金がわずかしか・・・」と切り出すとおばさんは「この子は売り物じゃないのよ。あなたさえ良ければ、この子はそれを望んでるように思うし。」


 


こうしてその日からその子との生活が始まった。名前は、実は飼う前から「キャティー」と名付けていた。


キャティー、その子は生後9ヶ月、女の子でおてんば、でもいつも首をかしげて私の話を聞く、とても利口な子だった。


それからどこへ行くのもキャティーと一緒、大学へ行くときも、休みの日も、寝るときも


ずっと一緒にキャティーと過ごした。