野田首相を議長とする国家戦略会議の中で「40歳定年制度」案が検討されているという。
その主旨は「ひとつの会社に長期間留まることによって企業の新陳代謝を阻害し、企業の競争力が低下する」とある。
具体的なビジョンも提示することなく、理想的空想論ばかりが先走っているように思えてならない。
最近、娘が町に停めていた自転車を撤去されて、辺鄙な施設に引き取りに行くハメになった。そこにはおびただしい数の自転車が保管されていて、その数は数万台に及ぶと言う。
担当者の方に聞いてみると「引取りに来られるのは2割程度ですねえ・・・。これ以上撤去が増えると置く場所の確保だけでもたいへんです。」とおっしゃていた。
期間が過ぎた自転車は、莫大なコストを掛けて東南アジアへ送られると言う。
最近の大阪市内は、バイクを数分停めるだけでも駐車禁止のステッカーが貼られる。
車もさることながら、バイクの駐車場に至っては、皆目見当たらない。
そのことも影響してか、オートバイの売り上げが激減しているらしい。
「放置自転車をなくして街の美観を整えましょう」「バイクや車の違法駐車をなくして渋滞の無い街を作りましょう」
確かにこれらは誰もが賛同する理想論だ。
しかし具体的ビジョンと計画、すなわちまずは自転車置き場の確保やパーキングスペースの確保を行う前に、力づくで全てを撤去しようとする、構想性の無さに呆れてしまう。
数年前にTVで、政治家のお偉い先生が「週休4日制」を提案されていた。
内容を聞いてみると「働きずくめの人が週休4日になると、最初は時間をもてあます。しかし、数ヶ月もすると、セカンドカーが欲しいなあとか別荘を買って余生を楽しもうという気持ちが芽生えてくる。そうすると国内需要が活性化される。」と真顔でおっしゃていた。
壊れた電卓で計算した答えならそれで良いが、きちんとした電卓ではじいてみたら、答えは一目瞭然のはずなのだが・・・。
いよいよこの国はどこを目指して、何を成し得たいのか?という明確なビジョンと構想を企てる知恵と工夫が底を付いてきたように思う。
これはひとえに、戦後の焼け野原から復興に命を掛けてこられた世代の偉人が一線を退いたことによる歪ではなかろうか?
先日、日経新聞に興味深い記事が出ていた。
ドイツでは製造後30年以上経過した車の自動車税、保険料、車検代を大きく減税すると言うものだ。
「エコ先端国」と言われるドイツがこういう処置に踏み切ったことに私は名実共に最先端国、先進国である深みを感じる。
それに引き換え我が国ではどうだろう?
「製造」ではなく、「登録」から12年を経過した車には加税を、18年経過した車には更に加税を、という法案である。
この法案はいったい何を意味するのか?
答えは明らかである。
「古い車はなるべく早く捨てなさい。そしてエコカー減税を利用してどんどん新しい車に乗り換えなさい」と言う国を挙げてのメッセージである。
超先進国とは全く真逆の方策の裏にある意味を考えてみたい。
我が国では「CO2排出量」と言う決まり決まった一面のみで全てを測っている。
確かに古い車は、ハイブリッドカーの数十倍のCO2を排出していると言われている。
しかし、ハイブリッドカーを一台生産する為に排出される製造時のCO2量はどうなんだろう?
或いは古い車を一台解体してスクラップにして処分する際に排出されるCO2量は?
このあたりの情報は一切公開されない。
まあ、こう言うレベルの法案がどんどん可決されていくと、古いものを大切に使い続ける心、メンテナンスしながら使い続けようという心が無くなってしまうのは間違いない。
確かに私の周りにも「ボンネットを開けたことが無い」という人や「車が壊れたから買い換えようと思う」と言う人が増えている。
何でもかんでも使い捨て時代、これでいいのだろうか?
極端な話かもしれないが、だから「人の心」まで使い捨てにする事件が増えているのではないでしょうかねえ・・・。
超先進国のドイツあたりはこれらのことも考慮した総合評価で地球の温暖化を阻止しようとしている。イギリスも同じである。
いずれにせよ、私はたとえどれだけ古い車に加税されようと、古い車を大切に乗り続けていこうと固い決意をしている。
そして後世に文化の遺産を継承して行こうと心に決めている。