社長の声
2012年11月26日 月曜日

戦後を駆け抜けた人たち


 


戦後の動乱期を駆け抜けた人達の共通点として、私は一様にその「たくましさ」を感じる。


私の周りにも「たくましい」憧れの諸先輩方が大勢いらっしゃる。


千数百人の企業のトップとして一秒たりとも手を抜くことなく精力的に企業経営を勤しまれるEさん、普段は非常に物腰が低く、どんな時にも誰に対しても笑顔を絶やさず、優しく接して下さる。私は人に対する細かい気配りや人を思う気持ちはEさんから学んだ。


しかし、一旦窮地を迎えたときの判断の的確さとそのスピードは到底誰にも真似できない。


Eさんの下す判断と結果に対して、誰も文句を言う隙間すらない。


仕事に対しても、趣味に対しても全て全力投球。魅力の塊のような人だ。


私は窮地に立ったとき、いつも「Eさんならどういう判断をされるだろうか?」を基本に物事を進めていくように心がけている。


 


今年70歳を迎えられるIさん、Iさんの趣味はクラシックカーで、数々のラリーに参加されている。いつもにこやかでおおらかなお人柄だ。


驚くのは、ラリーに参加する際、80年も前のクラシックカーを駆って、自宅から自走で参加し、ラリーが終われば自走で帰宅されるという豪腕の持ち主だ。ラリー中の1600kmの走行に加え、往復の1200km、なんと3000km弱を重くて辛いハンドルとクラッチを駆り、平然と完走される。


先日もあるラリーでお会いした。山の上のパーキングエリアでIさんの車を見ると、なんと洪水のようにラジエター水が漏れているではないか。驚いた私は「Iさん!ラジエター水が滝のように漏れてますよ!」と叫んだ。するとIさんはいつものようににこやかに「そうそう!ラジエターに穴が開いてたの知ってたんだが修理が間に合わなくてそのまま参加したんだよ!想定内、想定内!トランクにたっぷりラジエター水積んであるから大丈夫だよ!」と・・・。


軟弱者の私なら不安でリタイアしているところだが、Iさんはそんなトラブルすら笑い飛ばして大いに楽しんでいらっしゃる。私が70歳を超えたとき、Iさんと同じような生き方ができるだろうか?いや、Iさんを見て、私もそうなりたい!と今現在修行中である。


 


もうお一方、同じく70代後半のKさん。


Kさんもクラシックカーを駆って世界中のラリーに参加されている大先輩だ。


前述のお二方と同様、いつも笑顔でKさんの周りは常に笑いが絶えない。


最近、ラリーにも参加されなくなり、少し寂しい思いをしていた。70代後半ともなると普通の車を運転するのも辛くなるお年、無理も無いのかなあ?と思っていた。


ところが、久しぶりに先日、あるラリーでお会いした。


「いやー、仕事が忙しくて中々ラリーに参加できなかったんだよ!」と言うお言葉に安心した。失礼ながら、このお年で「引退」どころかお仕事がお忙しい、「まだまだ現役で頑張るよ!」とおっしゃる姿勢に頭が下がった。


しかし本当に驚いたのは次にIさんの口から出た言葉だった。


「あのねえ、私もこの年になるまで数々のラリーに参加してきたでしょ?でもねえ、慣れっ子になっちゃって、刺激が足りないんだよねえ。そこで、パリ~北京ラリーに参加することを決めたんだよ!」と・・・。


パリ~北京ラリーとは、一週間で4000kmをたった一人で走破する、世界で最も過酷なクラシックカーラリーで、肉体的にも精神的にも半端な決意で参加すると命までもが危ぶまれる世界最高峰のラリーだ。


私もいつかは参加してみたいとは思いつつ、そう簡単に踏み切れるような甘いものではない。体力的なこと以上に、もし砂漠のど真ん中の真っ暗闇で車が壊れたら?ジャングルの真っ只中で動かなくなったら?云々を考えたとき、類稀な精神力が無い限り安易に参加するものではない。


そんなラリーにKさんは「何か起こったら起こったときの話でしょ~。とにかく一度行ってきますよ!」とさらりと言ってのけた。


「たくましい」どころの話ではない。何故かバットで頭を叩かれたような衝撃だった。


 


こういうたくましい方々が、戦後の日本を支えてきたのだ。


今の日本は良いのか悪いのかは別にして「たくましさ」が無くても生きていける世の中になってしまった。


パソコンのキーボードを叩くだけで、ほとんどの日常生活は事足りる。


今後もどんどん進んでいくだろう。


でもねえ、果たして本当に「たくましさ」は必要ないのだろうか?窮地に追いやられたとき、「たくましさ」がないから逃げちゃうんじゃないの?私の生涯の疑問である。


 

2012年11月19日 月曜日

先日、東京のホテルの地下駐車場で「衝撃の人」と会った。


私が車を止め、降りようとしていると前から何やら外人二人が談笑しながら近づいてきた。


最初は気にしなかったのだが、良く見るとあの往年のF1レーサージャン・アレジではないか!「せめて握手して欲しい!」「願わくばツーショットの写真が欲しい!」走馬灯のように頭の中をぐるぐる熱き思いが巡ると同時に彼はどんどん近づいて私の目の前を通り過ぎようとしたその瞬間、「すみません!ジャンアレジさんですよね?」と大声で話しかけてしまった。「あ~あ、やっちまった・・・。ジャン・アレジが僕なんか相手にしてくれるはずが無いのに・・・」と思った瞬間、「そうですよ。」とにこやかに立ち止まってくれた。


もう、無我夢中で握手を求めると快く応じてくれた。更に写真をお願いすると「君の車の前で撮ろう。」と私を導いてくれるではないか!


更に一枚目の写真を見て「う~ん、照明が暗くて顔がきちんと映ってない。」と言って角度を変えて二枚目、三枚目・・・、合計5枚の写真を撮ることができた。


私が如何に車が好きで、F1が好きで、ジャンアレジさんに憧れていて、おまけに奥さんの後藤久美子さんが大好きで・・・と言う話を無我夢中ですると彼は大きな声で笑いながらウィンクしてくれた。カッコよかった!夢のような数分間だった・・・。


以前、家族旅行中、香港のホテルでジャッキーチェンに会ったときも、嫌な顔ひとつせずに家族全員と写真を撮ってくれた。おまけに最後の一枚は三女をだっこまでしてくれた。


「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言う言葉があるように、あそこまで突き抜けたビッグスターは極めて気さくで腰が低い。


偉そうにする必要すらない世界で生きている人たちである。極めると優しくなりカッコよくなるのだろう・・・。上からものを言う人に大物はまずいない。


私など、到底及びもつかないが、常に頭を垂れていついかなるときでも人に優しく接していきたいと思った。

2012年10月29日 月曜日

試合当日、少しでも彼らと同じ緊張感を味わいたく、早目にグラウンドへ出向いた。


試合前の練習を見比べると、相手はさすがにチャンピオンチームの余裕が漂っていた。


多くの選手、そしてコーチ陣、おまけにチアリーダーまで揃い、淡々と練習メニューをこなしている。


我がチームは、大一番を前にただならぬ緊張感が漂い、でも何かをやってくれそうな挑戦者らしい鋭い闘志のようなものを感じた。


我がチームのキックオフでいよいよゲームが始まった。


立ち上がりが心配だった。緊張の糸を切られてしまうと、一方的にやられてしまう。


祈るような気持ちだった。


しかし、予想を反して我がチームは、相手の強力なランプレーをことごとく止めた。


ラインズの「目立たないファインプレー」が続出した。まさに体を張って彼らは何度も何度も止めた。


試合の均衡を破ったのはなんと我がチームだった。第2クオーター、先制のフィールドゴールを決め、3対0でリードした。


この時点で、相手チームの焦りを感じた。


いつもなら簡単に通るプレイが、ことごとく止められる。しかもまさかの相手にリードを許した。


私もヘッドコーチとして、何度か日本一に輝いた経験があったが、最も怖いのは格下の相手にリードを許したときである。


歯車が狂いだすと、それを見た勢いのあるチームは更に活気づく。


しかし、さすがは日本一のチーム、前半終了間際に一瞬の隙を見てタッチダウンを取った。


TFPは失敗して、6対3で前半を終えた。


私は、事前の自分の予想に対し、彼らに詫びる気持ちで一杯だった。


確かにリードはされてはいるが、勇敢にチャンピオンチームに立ち向かい、屈するどころか互角以上に戦っている。


みんな体を張っている。ホイッスルが鳴るたびに顔をゆがめ、痛い体にムチを打って何度も何度も立ち上がる。それを見るだけで涙が出た。


彼らは本気で大きな夢を自らの手で勝ち取ろうと歯を食いしばって頑張っている。


こんな素晴らしい光景を真近に見たのは何年ぶりだろう。


後半に入っても一進一退は続き、6対3のままゲームは流れた。


当日、気温は35度の炎天下、最大の心配はスタミナの消耗だ。


相手は完全にオフェンス、ディフェンスに分かれ、余裕の選手交代で体力を温存できる。一方我がチームは11人がオフェンス、ディフェンス出っ放し。


その差がとうとう終了間際に表れた。試合時間残り数分、相手にタッチダウンを取られた。


TFPを再度失敗して12対3に開いた。


試合時間残り2分、普通ならここで諦めてしまう場面だ。しかしここから快進撃が始まった。彼らは決して諦めなかった。


敵陣20ヤード付近から、スーパープレイを連発し、残り40秒でなんとあのチームからタッチダウンを奪い取ったのである。TFPも成功して12対10!


しかし、攻撃権は相手に渡り、残りの40秒弱を相手は攻めずに時間を潰し、そして無情の笛が鳴った。


2点差とは言え、負けは負け。勝たせてやりたかった。


 


この試合で多くのことを学び、そして再確認した。


アメリカンフットボールと言うスポーツは、パスを投げるクウォーターバック、ボールを持って走るランニングバック、そしてパスを受けるレシーバーが花形のスポーツだ。


勿論、彼らは今回、充分以上の活躍を見せた。しかし、このゲームでは決して普段目立たないラインズ(体の大きなライン上のポジション)や相手のランプレイを止めるラインバッカーの活躍があった。日の目をあまり見ない彼らの「骨が折れてもやってやる!」と言う頑張りがあったからこそ日本一のランプレイを止めたのだ。


そして、更にどんな苦境に立たされてもしっかり勝利を呼び込んでくる相手チームはさすがだった。このスポーツでよく言われることは、「選手の1時間の練習に対して、コーチ陣の働きは5時間に値する」。


選手の努力は勿論、夜を徹して勝利のために尽力されたコーチ陣の方々に敬意を表したい。そして必ずや年末には日本一になられることをお祈りする。


 


試合が終わって、うなだれる彼らのひとりひとりの顔を見て、私は胸の中で賞賛を送った。


「高校生活最後に、一生の思い出になるゲームが出来たじゃないか!胸を張れ!奇跡を起そうと努力して、奇跡は起きなかったけど、起こそう!と本気で挑んだのは君たちだ!君達の頑張りがどれほど多くの人に感動を与えたか!」


それが証拠に、私自身も学生時代の頑張りを思い起こし、みなぎる活力を彼らから与えてもらったのだから。


これでこのチームは解散する。


この半年間の彼らの頑張りは、受験で必ず結果を出してくれるものと私は信じている。


あれだけの頑張りが出来る人間は、絶対に何だってやり切れる!そう言う気持ちにさせてくれた。